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FAQ

羅針盤の連載にあたって

デジタルアーカイブという言葉が誕生してから今年(2010年)でおよそ15年が経った。Googleで“デジタルアーカイブ”を検索すると15年前は1,000件にも達しなかったが、現在は約 4,860,000件ヒットする。

人類が蓄積してきた情報資産を後世に継承していく使命を担って「デジタルアーカイブ」は誕生し、インターネットと携帯電話に見られる技術の急速な普及によって、デジタルアーカイブも社会に浸透してきた感がある。また、同時に15年前と現在ではデジタルアーカイブの意味は拡張し、微妙に変質しているようにも思える。

デジタル技術はコンピュータの家電化に伴い広がった。デジタルアーカイブは「アーカイブ」に略され一般用語となったが、その「アーカイブ」と「デジタルアーカイブ」の間に違和感が生じ、また「アーカイブ」「アーカイブス」「アーカイブズ」とを使い分けているのは専門家くらいだろう。デジタルアーカイブとは一体何なのか。そのあるべき姿とは。

もともとデジタルアーカイブは明確に定義されていなかったとも言えるが、黎明期を経て、今後デジタルアーカイブは社会的情報基盤として定着し、洗練されていく段階で徐々にその全体像を現わしてくれるのだろう。

過去から未来へ、創造資源のサステイナビリティとしてのデジタルアーカイブへ。現在の位置と進むべき方位を探索する羅針盤をもって、あるべき姿へ向けて前進させたい。概念と技術を併せて進化するデジタルアーカイブの広大な海を“デジタルアーカイブ羅針盤”として全3回にわたってレポートしていく。まず第1回目は、デジタルアーカイブの歴史について。

第1回 『デジタルアーカイブの歴史』

目次
1. 日本発の和製英語 7. 海外の動向
2. デジタルアーカイブの前史 8. ボーン・デジタルとフェアユース
3. アレクサンドリア図書館とコービス 9. ミュージアムデータベース
4. JDAAの10年 10. 改革に向かう
5. デジタル文明立国への施策 11. MLAの横断
6. 大学や学会の変移

1. 日本発の和製英語

一滴の雨が海になってゆく。 雨水は山から川へ、海へと流れ、大海の水は水蒸気となり、雲の姿に転化し、また地上に雨を降らせる。永永とした自然の循環が、約46億年前の地球誕生から今も変わらずに続いている。 デジタルアーカイブ(Digital Archives)でも持続可能な循環を生むのだろうか。
デジタルアーカイブは、月尾嘉男氏(東京大学名誉教授)が1994年頃に古代アレクサンドリア図書館をイメージして提起した“デジタルアーカイブ”という言葉を起源とする。 電子機器系の“デジタル”と記録媒体系の“アーカイブ”を接続させた日本発の和製英語である。 その概念は、1996年に設立されたデジタルアーカイブ推進協議会(JDAA:Japan Digital Archives Association)によって「有形・無形の文化資産をデジタル情報の形で記録し、その情報をデータベース化して保管し、随時閲覧、鑑賞、情報ネットワークを利用して情報発信する」というデジタルアーカイブ構想にまとめられ、故平山郁夫氏(元東京芸術大学学長)、杉田繁治氏(元国立民族学博物館館長)、月尾嘉男氏が主導した。

2.デジタルアーカイブの前史

デジタルアーカイブには電子機器系と記録媒体系それぞれに来歴がある。デジタルアーカイブの対象領域は美術館、博物館、図書館、公文書館にわたり広範囲だが、ミュージアム側の視点から主な出来事を選出し、 「デジタルアーカイブ年表」を作成してみた。
電子機器系で追ってみると、1617年英国のJ.Napierが簡易計算具「ネーピア・ロッド」を発明したのを皮切りに、1642年フランスのB.Pascalが考案した最古の計算機械「パスカリーヌ」、1900年代に入ると、「ABC」(1939)や「ENIAC(エニアック)」(1946)、「ARPANET」(1969)といったコンピュータやネットワークが開発され、現在のパソコンや携帯電話にたどり着く。一方、記録媒体系はずっと古い。叡知人を意味する現生人類のホモ・サピエンスが10万年前にアフリカで誕生し、現在に残す記録は、約3万2千年前に描かれたといわれているフランスのショーヴェ洞窟の壁画。紀元前3100年頃メソポタミアから出土した最古の文字が書かれた粘土板やパピルス、そして105年に文字の記録媒体として中国で紙が発明され、1839年銀板写真技術ダゲレオタイプが公表、以後マイクロフィルム(1870)、電話(1876)、映画(1895)、ラジオ(1920)、テレビ(1935)、コンピュータ、インターネットとつながる。
また、デジタルアーカイブやインターネットと続く、思想を挙げてみると、1924年のAby Warburgの記憶の地図「アトラス・ムネモシュネー」や、1936年のWalter Benjaminのオリジナルとコピーの関係を考察した「複製技術時代の芸術作品」、1945年Vennevar Bushの論文「As We May Think(我々が考えるように)」の中で連想検索を示唆する「Memex(メメックス)」構想、1947年にはAndre Malrauxが示した複製画の網羅的鑑賞法といえる「空想の美術館」、1965年にTheodor Holm Nelsonがハイパーテキストの概念を発表し、そのプロジェクトを1967年に「Xanadu(ザナドゥ)」と提唱した。

3.アレクサンドリア図書館とコービス

こうした悠久の時を経て、1989年、エジプトの古代アレクサンドリア図書館の再建計画である新アレクサンドリア図書館「ビブリオシカ・アレクサンドリナ」の国際コンペがあり、書籍や文献を保存することが社会の関心事となっていた。日本でも1990年代前半には、時間経過に伴う劣化した文化遺産を高精細デジタルデータで記録し、広く公開することで資産の劣化防止にもつながり、文化の普及にもなるという考え方が生まれていた。当時マルチメディアは期待され、ハイビジョン技術の活用法が模索されていた。その試作の対象に文化資産が選ばれ、デジタル記録への潮流となっていったのである。
また、役所や企業の文書を郊外の巨大な倉庫に保管する、アーカイブズのビジネスを始める会社が出てくるなど、記録し保管することへの気運が高まっていた中で、文化界、産業界、自治体が参集し、JDAAが設立されたのである。歴史的な資料や作品を見直し、電子的に作られた情報をいかに保存するのかなど、社会的なムードがあった。
デジタルアーカイブに関連した具体的な動きとしては、1994年「世界の文化を未来に継承するデジタルアーカイブ国際会議」(主催:(財)マルチメディアソフト振興協会、日本経済新聞社)や、1995年「デジタルアーカイブ国際会議'95」(主催:芸術研究振興財団、ハイビジョン普及支援センター、マルチメディアソフト振興協会、石川県)の開催があった。
また1997年には、ビル・ゲイツが画像アーカイブとライセンス事業を目的として設立したCorbis(コービス)の日本進出が刺激になり、日本独自のデジタルアーカイブの確立を意識せざるを得ない状況となってきた。現在はないが1998年には凸版印刷、朝日新聞社、日立製作所の3社が合弁会社「株式会社イメージモールジャパン」を設立させたのもこの動きの反応といえるだろう。

4.JDAAの10年

わが国では従来文化を保存するという考え方が希薄であった。東京国立博物館の前身である湯島聖堂大成殿で博覧会が開催されたのは1872年、国立国会図書館の設立は1948年、国立公文書館の設立は1971年である。デジタルアーカイブという概念が生まれてのち、アーカイブ類縁施設が本格的に資料整理を始めたと言ってもよく、データベース構築に必要な資料目録などの資料管理の基礎が固まっていない状況であった。
平山郁夫氏を会長とするJDAAは、文化庁、通商産業省(現経済産業省)、自治省(現総務省)、三省庁の支援と、電機、印刷、メディアなど多くの企業のバックアップにより運営されていた。その対象としていたのは、美術館・博物館、大学、企業、マスコミ、地方公共団体であった。JDAAでは、産業や雇用の創出なども意図していたが、社会資本の構築として文化情報の基盤整備に貢献するインフラを前提とした情報の共有化を計画していた。
JDAAが、初めて行ったデジタルアーカイブの推進活動は、1997年1月に東京国立博物館で開催した「デジタルアーカイブ国際会議’97」である。その後毎年、奈良、京都、広島と会議を開催。また同年、JDAA広報誌「デジタルアーカイブ」を発行、翌1998年は、「第1回デジタルアーカイブ権利問題ワークショップ」も開き、その翌年の1999年には、東京国立博物館法隆寺宝物館開館記念シンポジウム「博物館・美術館におけるマルチメディアの活用」を開催。2001年は『デジタルアーカイブ〈権利問題と契約文例〉』や『デジタルアーカイブ白書2001』を発行、白書は2003、2004、2005と続き、2005年6月に解散するまでの約10年間の中で様々な角度からデジタルアーカイブを普及し、その概念を日本に定着させ、惜しまれつつ推進の役目を終えた。
またJDAAの活動と並行して、1998年-1999年通商産業省(現経済産業省)の補正予算事業として「先導的アーカイブ映像制作支援事業」(予算20億円)が実施された。1999年にはデジタルフロンティア京都実行委員会主催の「デジタルアーカイブ・アウォード」の発表があるなど、大きな盛り上がりを見せていった。2003年には公共放送局であるNHKが、埼玉県川口市に「NHKアーカイブス」を建設。さらにアーカイブの本家とも言えるアーカイブズの国立公文書館が、2005年ホームページに“デジタルアーカイブ"を採用した。

5.デジタル文明立国への施策

2001年には政府により「e-Japan重点計画」が立案され、「美術館・博物館、図書館等の所蔵品 のデジタル化、アーカイブ化」が推進された。その後も「IT政策パッケージ-2005 」「重点計画-2007」「i-Japan戦略2015」などと毎年情報化推進の施策が発表されている。
国立公文書館では、2005年に「e-Japan重点計画-2002」等に基づき、約180 万画像を提供する「国立公文書館デジタルアーカイブ 」を構築し、併せてWeb上に存在するデジタルアーカイブの一つの象徴とも言える「アジア歴史資料センター 」を2001年に開設した。村山元総理の「平和友好交流計画」に関する談話を受けてのことだった。
そして、2003年に自由民主党政務調査会デジタル・アーカイブ小委員会(委員長:野田聖子)は、「国立デジタル・アーカイブ」構想を提言、「デジタル文明立国」実現に向けたデジタルアーカイブ推進の具体策を政府へ申し入れた。
また立法府である国立国会図書館は、1995年に「パイロット電子図書館プロジェクト」を開始以来、電子図書館の研究を重ね、2002年に関西館を開館した。2005年には「国立国会図書館 資料デジタル化の手引き 」を作成し、2002年「WARP(インターネット資源選択蓄積実験事業) 」を開始、2007年に「国立国会図書館デジタルアーカイブポータル〈PORTA〉」が開設された。2010年からは、長尾真館長(元京都大学総長)の下、約127億円という所蔵資料のデジタル化予算による、大規模なデジタルアーカイブが構築されていく予定である。

6.大学や学会の変移

大学の電子図書館への歩みは、1994年に京都大学が電子図書館システム「Ariadne」でわが国初の電子展示を行い、長岡技術科学大学、東京工業大学、東京大学、千葉大学、筑波大学、図書館情報大学、東北大学、北海道大学、奈良先端科学技術大学院大学が、研究開発を先行した。1996年より「慶應義塾大学HUMIプロジェクト」として、グーテンベルク聖書のデジタル化を実施している慶應義塾大学は、「デジタルアーカイヴ・リサーチセンター」の設置のほか、デジタルアーカイブ関連のシンポジウムを積極的に開催しており、東京大学、京都大学、九州大学、筑波大学、早稲田大学、上智大学、立命館大学、法政大学、日本大学、龍谷大学、花園大学、駿河台大学、常盤大学などでも、デジタル・ヒューマニティーズやDigital Cultural Heritageといったデジタルアーカイブを発展させた概念も取り入れて、無形文化財や遺跡などの研究が進められている。東京大学史料編纂所や国文学研究資料館、国際日本文化研究センター、国立情報学研究所でも各機関独自の専門性を活かした研究が行われている。
デジタルアーカイブが普及を見せた2004年に、日本アーカイブズ学会が発足。デジタルアーカイブに関連する研究が学会などで広まっていった。主なところは情報処理学会・人文科学とコンピュータ研究会、アート・ドキュメンテーション学会、記録管理学会、映像情報メディア学会、情報メディア学会、情報知識学会、電子情報通信学会、日本情報考古学会、画像電子学会、日本色彩学会、文化資源学会、人工知能学会、日本図書館情報学会、日本写真学会、NPO法人知的資源イニシアティブ、NPO法人地域資料デジタル化研究会、NPO法人地域資料情報化コンソーシアム、NPO法人沖縄デジタルアーカイブ推進協議会、全国歴史資料保存利用機関連絡協議会、情報保存研究会などである。

7.海外の動向

90年代の海外では、1994年米国学識社会評議会(American Council of Learned Societies)やネットワーク情報連合(CNI: Coalition for Networked Information)、J.Paul Getty Trustの芸術史情報プログラム(AHIP:Art History Information Program)が共同で開催した、文化的社会資本の整備に関する会合「情報ハイウェイにおける人文科学と芸術 」が開かれ、すべてのアメリカ人に提供する芸術や人文科学、社会科学に関するデジタル情報化の方法が検討された。さらに、同年米国がITU(国際電機通信連合)総会で、世界情報基盤(GII:Global Information Infrastructure)を提唱。そして「Windows95」が発売された1995年、ブリュッセルで開かれたG7(先進国首脳会議)では、世界的な情報基盤整備に関する調整が必要とされ、来るべき高度情報化社会の重要性を確認した「G7電子博物館・美術館構想」が欧州共同体により計画された。このとき作成した「ブリュッセル報告書(基本構想)」として知られる「世界の文化遺産への開かれたマルチメディア・アクセスに向けて:博物館と美術館 」には、インターネットの利活用を前提とする点など、デジタルアーカイブの概念を垣間見ることができる。
2003年になると、UNESCO (国際連合教育科学文化機関)が「デジタル遺産の保存に関する憲章及びガイドラインの策定」に取り組み始めた。世界規模でデジタルアーカイブを概観すると、UNESCOがイニシアチブを取り、デジタルデータの長期保存が世界共通の認識となったと言えるかもしれない。1993年に発足したオーストラリアの PADI(Preserving Access to Digital Information )や、2001年設立の英国の DPC(Digital Preservation Coalition )はそのさきがけである。
1990年に、米国の歴史資料をデジタル化するプロジェクト「American Memory 」を開始した米国は議会図書館が主導し、2003年からはボーン・デジタルを対象とした全米デジタル情報基盤整備・保存プログラム「NDIIPP(National Digital Information Infrastructure and Preservation Program)」を推進。さらに選択的Webアーカイブのプロジェクト「MINERVA 」も実施。
一方、欧州委員会(European Commission)では、2005年「i2010(欧州情報社会2010)」の中核事業として、2010年までに600万点の資料をデジタル化し、インターネット公開を目指す大規模プロジェクト「EUデジタル図書館構想」計画を発表。プロトタイプとなる「Europeana 」が公開中だ。そして1988年ノルウェー、2002年スウェーデン、2003年英国、2004年デンマーク、2006年ドイツ、フランスと各国の国立図書館が、法定納本の枠組みにより、Webサイトのデータを包括的に収集・保存するための法律が相次いで制定されている。

8.ボーン・デジタルとフェアユース

パソコンで作成する原稿やデジタル写真、CGなどのボーン・デジタルの資料が急増してきている。2003年Web上に仮想世界を構築する米国の「Second Life 」が公開され、2005年には同じく米国の動画共有サイト「YouTube 」が開始した。複雑に多様化する大量のデジタルアーカイブをどのように持続的に保存していくか、課題は残されている。
しかしこの状況をデジタル素材が増えたと考えると、クリエイションの領域は広まる。その環境整備に努めている一人が、米国のローレンス・レッシグ氏(スタンフォード大学教授)である。レッシグ氏の提唱する「クリエイティブ・コモンズ 」は、2001年に非営利団体を設立、コピーライトからコピーレフトへと意識を揺るがせ、Web上で著作物の自由度を広げている。
国内の著作権動向としては、2003年内閣に設置された知的財産戦略本部が、知的財産の創造、保護及び活用に関する推進計画を「知的財産推進計画」として行動計画を発表し、2005年に知的財産高等裁判所を設立、2007年には国際漫画賞などを創設してきたが、日本音楽著作権協会(JASRAC)などの著作権管理団体と国際条約を踏まえたパブリックドメインは、文化審議会著作権分科会を中心に「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム」(think C)など、国際関係や経済とのバランスを取りながら日本版フェアユース(公正な利用)の模索が続いている。

9.ミュージアムデータベース

Webサイトにはデジタルアーカイブの歴史の成果として、充実したデータベースが増えてきた。ここでは全国各地からその一部をご紹介しよう。
ミュージアム関連で見ると、文化庁が1996年より文化財情報と美術情報の構築を目指した「共通索引システム」が、2004年に公開された「文化遺産オンライン 」に受け継がれ、連想検索機能が付くなど進化している。2002年公開の「e国宝 」は画像が美しい。社寺は観光に関係するためか、ホームページの開設は比較的早かったがデータベースを構築するところは少ない。鑑賞及び事前や事後の学習にデジタル技術を適用している「東京国立博物館 」「国立科学博物館標本・資料データベース 」「国立民族学博物館 服装・身装文化(コスチューム)データベース」「国立歴史民俗博物館データベース 」「東京大学総合博物館 デジタルミュージアム 」は、意欲的な試みが感じられる。毎年個性的で実質的なデータベースが生産されているが、データベースの深層にあるコンテントにいかに直接たどり着けるかが今後の課題である。

10.改革に向かう

わが国唯一の国立映画保存機関である東京国立近代美術館フィルムセンター 。フィルムアーカイブにおける初のデジタル復元を試みた作品『斬人斬馬剣(ざんじんざんばけん)』が2003年に上映され、貴重なフィルムのデジタル復元の可能性が大きく前進した。
また、東京国立博物館は2002年、所蔵品のデジタル画像をDNPアーカイブ・コム(現DNPアートコミュニケーションズ )を通じて委託販売を開始しており、インターネットを通じて画像が入手できる。さらに2005年11月には「ミュージアム資料情報構造化モデル 」を発表。国際博物館会議 CIDOC CRM(Committee for Documentation Conceptual Reference Model)やダブリン・コア (Dublin Core Metadata Element Set)を参考としたであろうそのデータベースの項目分類は、ミュージアムの業務支援となり、資料情報を共有するためのデータ形式を開発する基盤として、利用されることを目的とした緩やかな構造である。用語の統制や表記の仕方など課題はあろうが、日本のミュージアム界にとっては、ITに対応した画期的な一歩だった。

11.MLAの横断

国際博物館会議に代表されるミュージアム界や、国際図書館連盟 の図書館界、国際文書館評議会 の文書館界を、Museum、Library、Archivesの頭文字から、MLAと呼んでいる。2009年12月、アート・ドキュメンテーション学会は、「MLA連携の現状、課題、そして将来」と題したフォーラムを開催し、国立文化財機構理事長兼京都国立博物館館長(佐々木丞平氏)、国立国会図書館館長(長尾真氏)、国立公文書館館長(高山正也氏)らにより、今後のネットワーク社会における文化施設の役割などについて話し合われた。MLAを横断している意識もなく、ワンストップで情報を検索、利用できるサービスが視野に入ってきている。
15年ほどしか経っていないデジタルアーカイブのわずかな歴史だが、急激に変化するIT業界をドッグイヤーで換算したならば、15×7=105年。およそ一世紀、それでも歴史はまだ始まったばかりである。

2010年1月25日

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デジタルアーカイブ(研究家)美術情報 影山幸一

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